この世は幻 ? 2009年1月6日(火)
ヨガなどのインドの哲学では、この世の現実は幻影だそうです。 本当かなっと思ってしまいますが、現代の科学でも 物質をどんどん細かく分けていくと、分子、原子、クオーク…と分けていくと、最終的には波動か粒子かわからない状態になるそうです。 そして、物の違いは単に波動の長さの違いで、もともとの材料自体は同じだそうです。 すべての違いは濃いか薄いかということらしいです。 科学的に見てもこの世は幻のようなものみたいですね。 色即是空、空即是色もこのことを表しているのかもしれません。
陰極まって陽生ず 2008年12月30日(火)
陰陽の法則に「陰極まって陽生ず、陽極まって陰生ず」というのがあります。 陰の方向に行って極限までいくと、パッと逆の性質の陽に変わってしまうというものです。 三次元の世界のものごとは、この自然の法則で動いています。 今の日本、世界はまさに陰が極まった状態ではないでしょうか。 近いうちに陽に転ずると思います。 住みやすい世界に変わると私は思っています。
ガマン強い人、体の丈夫な人は体にご注意…2008年12月23日(火)
うちに来院される方で、体を壊してかなりこじらせて来られる方は、ガマン強い人、体の丈夫な人が意外に多いですね。 ガマンはいいことですが、ガマンし過ぎると、回復しにくい所まで壊してしまうので、し過ぎはよくないですね。 ガマンしていれば体がなれてよくなると思っている方も多いですが、そういうことは少ないです。 また体を鍛えているつもりでガマンしていて体を壊している方も多いです。 体の丈夫な人も無理がきくので、そうとう体を痛めていても、そのまま放っておく方が多く、気がついた時には回復しにくい所まで壊してしまう人がかなりおられます。 体の丈夫な人も無理し過ぎないでくださいね。
ぜんざいには塩がいる 2008年12月16日(火)
ぜんざいを作る時、塩を入れたり、紅茶を飲む時、砂糖と少しの塩を入れると甘さがほどよくひきたつのはよく知られていることだと思います。 甘いものの中に反対の要素である塩を入れると甘さの良さが引き出される。 反対の要素を少し入れるとよくなるというのは陰陽説でも言われていて、すべてのことにあてはまります。 例えば精神的なストレスでも。 精神的なストレスが大きい人多い人は、ほぼ間違いなく真面目過ぎる人、几帳面な人が多いです。 真面目というのはいい要素なのですが過ぎると完全主義になり他が許せなくなり、その結果ストレスがたまります。 真面目という要素に 不真面目、遊びという反対の要素を心の中に少し入れるとバランスがとれてきます。 気持ちに余裕が出来てくる。 真面目の良さがほどよく引き出されストレスがなくなってきます。 陰陽(相反するもの)のバランスが大切ですね。
不妊症の原因のひとつ 2008年12月9日(火)
不妊症の原因のひとつに胸椎11番のゆがみがあります。 今まで3人の方が不妊症改善で来院されました。 3人とも胸椎11番がゆがんでいました。 そこで不妊改善操法を施術したところ (胸椎11番のゆがみを整え骨盤調整、ツボなどで施術します。) 2ヶ月~3ヵ月、週1回の施術で3人とも妊娠、出産されました。 ご家族の方に喜んでいただき、私も本当に嬉しかったです。
なまけもののはなし 2008年12月2日(火)
昔、私が何かの本で、妙に心に残った話を書いてみます。 なまけものの話。 ある村になまけものの男がいて毎日働かずに昼寝ばかりしていました。 それを見かねた村人がなまけものに言いました。「そんなになまけて昼寝ばかりしてないで、少しはまじめに働きなさい。」 なまけものは『まじめに働いたらどうなるんだ?』 「働いたらお金がもうかるだろう。」 『お金がもうかったら何かいいことがあるのか?』 「お金がもうかってたくわえがふえると、働かずに毎日昼寝して暮らせるぞ。」 『俺は最初から毎日働かずに昼寝して暮らしているよ。』 なまけものはまた寝てしまいました。 おわり。
東洋的発想は安心に導く 3 2008年11月25日(火)
東洋的発想のもうひとつに、すべてが完全であるというものがあります。 自分が完全というだけでなく、宇宙に存在するすべてのもの、ことが完全であるというものです。 人間からみれば、不完全なものがたくさんあるのですが、宇宙全体からみればすべてが完全で調和がとれている。 人間からみれば、善悪などありますが、宇宙からみれば善悪などもなくただ役割があるだけだとするものです。 この発想からすれば、すべては存在しているだけで完全で価値があり、自分と違ったものになる必要はないわけですね。 すべての存在がそのままでOKなんですね。 立派な自分になろうとしたりちゃんとした大人になろうとするとしんどいですが、「今のままの自分でいい」と思えば、安心しますね。 自分から変わろうとしなくても宇宙は絶えず変化していますから勝手にいい方に変化進化していきます。 これが無為自然という言葉のひとつの意味だろうと思います。
東洋的発想は安心に導く 2 2008年11月18日(火)
東洋的発想は元々の自分は完全だとするものです。順調でないのは元々完全な自分を制限しふさいでしまっているからだと考えます。 例えると、元々完全である自分を光だとすると煙や壁でその光をさえぎっている。その煙や壁を取り除くと本来の光が出てくる。つまり元々の自分に付け足すのではなく、邪魔しているもの余分なものを取り除くと完全な自分が発揮されるという発想です。 体の動かし方などにもよく表れています。 西洋的なスポーツは筋力をつけパワーアップしていくというのが多いですが、東洋的な武術は無駄な力余分な力をぬいていき自然な姿勢で動けるようにするものが多いです。(自然な姿勢で動くと全身の力が協力されて大きな力を生み出します。) つづく。
東洋的発想は安心に導く 1 2008年11月11日(火)
今の日本ではほとんどの人が、理想の自分を描いてそれに近づくため努力していくという、西洋的発想で動いていると思います。 この発想は目的を達成するにはいいのですが、理想の自分を持ったとたん、今の自分が理想の自分より劣っているので、いつも今の自分に不満足感、劣等感があると思います。 理想の自分を強く持ち過ぎるとある意味では今の自分を否定していることになります。 理想を達成しても次の理想を求めるので満足は一瞬です。 つまり西洋的発想は、自分は元々完全でないので、外から何かを付け加えて理想像になろうとするものです。 いつも何かを付け足そうとしているので安心感が持ちにくいと思います。いつもゴールに向かって最終ゴールにはつかない。この発想は私にはしんどい感じがします。(西洋的発想を否定、劣等視しているのではありません。) つづく。
悩みはつきつめれば、存在価値に… 2008年11月4日
仕事柄、人の悩みを聞くことが多いのですが、 悩みの多くはつきつめれば、存在価値を感じたいということになると思います。 (今のままではダメだ、何かをすべきだ、人の役に立ちたい、立派になりたい、優れた自分になりたい、実績をつくりたい…)というのも存在価値を大きくしたいということになると思います。 津留晃一さんは「人の価値はその存在にある」と言っています。 どんな人でも何もしなくても存在していること自体に価値があるということだと思います。 存在価値と言う言葉がありますが実は「存在=価値」なんですね。 どんな人でも存在しているだけで(何もしなくても、何かになろうとしなくても)そのままで絶対的な価値がある。 外から何か付加価値をつけなくても、そのままの自分でOKということだと思います。